8月6日

今日のみ言「祈りを聴こうとする神様」

「この世でも挨拶するのに、その方法があるではないか。祈りにおいても研究してやりなさい」(み旨の道p441)

「彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く」(イザヤ65/24)

私たちはあまりにも長い間神様が親であることを知らずに過ごしてきました。ですから急に神様が親だと教えられても、そこに何の情も出てきませんし、どうやって対話したらいいのかわからないのが実情です。その姿は赤子や幼子が母親に何かを伝えたくても、どのように表現したらいいのかわからず身もだえしている状態だといえます。そのような赤子や幼子を前にして、母親は我が子の的を得ない何が何だかわからない言葉や行動の中に、それを理解しようとしゃがみこんで、目を近づけ、手で触れ、耳で聴き取ろうとします。子供以上に深刻な立場で、子供が語りかけようとする前に親が語りかけ、すべてを準備し、身構えていることを知らなければなりません。親なる神様はわが子が語る一言を、全身全霊
を持って受け止めようと待っているのです。祈ることに困難が伴っても、私たちの「お父様!」という一言を長い歴史をかけて待ってこられた神様を思い、祈りの座に着くようにいたしましょう。
God bless you !

▲TOP