8月26日
今日のみ言「自己責任」
「神様の前で、「父よ、このみ旨のために私に責任を与えてください」と言える皆さんとならなければならない」
「栄光は、神様の愛なくしてはなされない。自己の責任をなさずに、神様の栄光を願ったのが堕落である。忘れてならないことは、栄光よりも、責任を完遂しなければならないことである。栄光は、自分から始まるものではない」(み旨の道p163.165)
人生を価値あるものとし、自己を成長させるポイントは「責任を持つ」ことにあります。幸せになる人は「○○のおかげで・・」「私が責任を持ってやります」と言って、人や周りに「感謝」する心や自分が「責任」をもって取り組む心が口癖となって現れます。反対に不幸な人は「○○ のせいで・・」「○○がわるいから・・」と、常に人や周りの「責任」を追及する心が言葉に表れます。サタンは決して自分から罪を認めようとはしません。指摘されれば必ず責任を転嫁します。自分が正しいと主張する人ほど、また相手が間違っていると指摘する人ほど、責任を転嫁します。その根っこはルーシェルが自らの堕落の責任を、私を愛してくれなかった神様のせいだと転嫁したところからきています。どう考えても
理不尽な主張なのですが、復帰摂理においては真のアベルはそんなカインの主張を「その通りだ!」として自らの責任として、その罪の蕩減をカインに代わって立ててあげなければなりません。この自然屈服の復帰原理こそ理不尽に思えるのですが、それがメシヤの道であり、そのように歩まれたイエス様であり、真の父母様だというのです。ならば私たちも、その物事の正誤には関係なく、カインの罪までも私が「責任を持つ」とする所から「真のアベル」としての道を歩み始めることができるのです。この責任心情なくしてメシヤの抱えている事情と心情を実感として体恤することは決してできないでしょう。
God bless you !