8月9日
今日のみ言「十分の一献金」
「十分の一献金は、所有している物質中の十分の一を神様に捧げることによって全体をささげるという意味を持っています。十分の一を精誠をこめてささげることにより、残りの十分の九までも聖なるものとして取り扱い得るようになります。このように十分の一献金を捧げて生活する人は、絶対に滅ぶことがありません。日がたてばたつほど、倉庫がいっぱいになっていくのです」
「自分が使うところのいくらかを献金して、それで教会を支えるというのは極めて良いことのようですが、それは悪いことだと思うのです。神様の前に捧げることは自分の生活より、自分全体よりも先にしなければなりません。それの何パーセント捧げるという観念によって自分の生活が主で、神様が次の段階に立つのが習慣化されやすいのです。神様が二番目になり一番最後になってしまうのです。一番最初の物を神様に捧げなければならないのです」
「十分の一献金は、一番精誠を尽くした聖なるものでなければなりません。それが祭物です。祭物は「私」の身代わりです」(天聖経 礼節と儀式)
十分の一献金の恩恵は計り知れないほどあるのですが、この献金は一切の見返りを求めてはいけないものです。なぜならこの献金はすでに「生かされている」ことに最大の感謝をこめて捧げるものだからです。私たちが健康でいること、家族がいること、住む家があること、食べ物があること、働くことができること、それらすべてがすでに神様からの恩恵だというのです。すでに与えられた恩恵に感謝を捧げるのが十分の一献金なのですから、それ以上の恵みを願って捧げるものではないのです。この当たり前の日常の生活にこそ心から感謝をして、最も精誠を尽くした最初の物を捧げることを何よりも喜ばれる神様です。(事情がある方は個別に相談に乗りますのでご連絡ください)
God bless you !