7月19日
今日のみ言「善悪を分立」
「信仰生活とは、自身を供え物の立場に立てておいて、善と悪に分立させ、神様が喜ばれるいけにえの供え物としてささげる生活である。ゆえに、我々が常に、神のみ旨を中心として、自身を善と悪に分立させないときには、そこにサタンの侵入できる条件が成立するのである」(原理講論)
人間関係が悪い人は「相手を変えよう」と、「要求、裁き、批判の心」をもっています。相手のことはよく見えますし、私の心の葛藤も目の前の人の姿を見て湧いてきた感情ですから、相手に原因があると考えるのが当然のように感じるかもしれません。しかしある人の態度や言葉にある人は怒りを覚え、ある人は逆にもっと愛したいという情が湧いてきます。同じ客観的な事実からなぜまったく違う感情が芽生えるのでしょうか。それは怒りを感じる人は、「怒りの種」が心に植えられていて、相手の態度や言葉がその種を芽生えさせるのです。「怒りの種」がない人に「怒り」は出てきません。怒る原因は相手にあるのではなく、「私の心」にあるというのです。
信仰生活は「自身の善悪を分立する」ことであり、「自身を供え物にする」ことです。自身を善と悪に分立させないで中間位置にいることが、何もしていなくても(何もしていないからこそ!)すでにサタンが侵入できる条件を成立させているのです!サタンと決別し神様と共に生きる決断をすべき時は、「今」です!
God bless you !